私たちには奇異に思える行為すら、老人がそれで困るわけではないらしい。
となると、もっとも困っているのは、じつは私たちの常識なのです。
異食を何がなんでもさせまいとするのは、じつは老人のためというよりも、私たちの常識を守ろうとしているにすぎないのではなかろうか。
さて、科学的データなるものは、こんなときに私たちの役に立ってくれる。
なにしろ、あの便ですら、「あ、食べたって構わないのか」と思わせてくれるのだから。
とはいえ、それは情緒も何もない客観的(=無感動)で冷静(=冷ややか)な世界でしかない。
科学的見方は、私たちの"異食"に対する過剰反応を冷ましてはくれるものの、では、好きなように放っておけばいいのかというと、そういうわけではない。
抑制して、"異食"すらできなくすることが、老人のニーズに応えることではないように、何でも口に入れようとして歩きまわる老人に自由を与えることが、ニーズに応えることでもないのです。